現学正会理事長 金納 學 氏の平成13年度新年会講話より抜粋




 この蒲池の教会の始まりに、前教会長様がハンセン病患者を教会に連れてきて、たすけ一条の一環と
して、保護、育成、指導してきたという事蹟があります。

 ハンセン病は、日本においては、明治40年代に法律が制定されて、この病気はもう治らない、空気感
染する。だから治療するというよりも、この人たちを全部この地上から消してしまわなければいけない。日
本から全部ハンセン病者を無くさなければいけない。こういうことで日本に療養所が11できました。九州
にも熊本の敬風園、鹿児島の敬愛園ができました。そうした療養所に送りました。それは送って療養し、
人間的な生活をし、大切にいたわっていくという方向ではなく、この人たちを全部片付けてしまわないと
ハンセン病はなくならない。こういう考え方で明治政府はハンセン病の対策の法令を作ったようです。

 その後の国際社会にあっては、ハンセン病はすばらしい薬ができたので、結核がペニシリンによって克
服されたように、ハンセン病ももう恐れるに足りない病気になりました。国際社会においては、それが一般
的風潮になりましたので、日本政府においても法律の改正をしようという兆しが起きましたが、11の療養所
の数名の園長、医学博士の称号を持った人たちが、ハンセン病というのはそう簡単に開放すべきではな
い。缶詰にしておいてこの人たちを片付けた方が一番早いのだというような提言をしました。

 政府としても国際社会の流れに沿って、これを緩和しようとする政策をしようとしましたが、先般のエイズ
の問題と同じであります。
エイズの問題においても、帝京大学の副学長が、血液を注入すると感染するという疑いを持ちながら、
政府に対して、また学会に対してもそれは安全であると提唱したのと同じことを、当時の医学博士の名誉
園長たちが政府に申し立てています。それで政府もそのままで大正時代も歩いていき、ようやく平成8年に
エイズの法令と、ハンセン病の法令が一緒に、菅厚生大臣によって改正されたのです。

 その間のハンセン病の人たちは、なにか一言でも不服を申し立てたら、○県にあります重度ハンセン病
収容所というところに入れられました。そこは空気の通りも悪いし、寝台も湿気があって健康上悪く、たい
がい2年で亡くなったと言われております。そうしたハンセン病の人たちが2万7千人亡くなっておられます。

 社会に嫌われ、排他的な取り扱いを受けた時代に、蒲池の教会では、前会長様が、ハンセン病の人た
ちを数名連れてきて、天理教の布教の一環として、たすけ一条で保護されました。天理教も嫌われ、ハン
セン病も嫌われ、二重に嫌われながら、昭和7年の鹿児島県鹿屋市の星塚敬愛園ができるまで、ここで生
活されました。これは他所にはないすばらしい慈善事業の布石であります。

このすばらしい布石が、学正会の、また教会の目標でなければいけないこれが哲学だ
と思います。


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