尊 い 人 だ す け の 精 神 〜 ハ ン セ ン 病 患 者 の 救 済 の 事 蹟 〜 |
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天理教蒲池分教会の先代会長である金納伊之助氏は、大正中期から昭和初期頃まで、 近隣のハンセン病患者を保護し、お世話取りをされました。そうした尊い人だすけの行いは、 現在の学正会・社会福祉事業の源泉となっています。 下に紹介する文は、伊之助氏がその当時の思い出を綴ったものです。 |
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『天理教の布教師です』
『その天理教の布教師が、どうしてあのAなどを連れて歩くのだ』 『何とかして、あの業病を助けてもらいたいと思いまして』 『もう病気もひどい、熊本のハンセン病病院に入れようと思っている』 『ですが、AはAの親から預かっている男ですから、私の一存でどうこうするわけにはいきません。 とにかく病院に入れるにしても、一応私に返していただきたいのですが』 『ところが、ここにはおらん。駅前の駐在所に行っている』 また駅前に引き返した。 『汽車には乗せてはいけないことになっているから、汽車賃を精算して、今出ていったところだ』 こう聞いて、すぐさまその辺りを探したが、見当たらなかった。仕方なく、私は汽車で国に帰った。 Aはその翌夜、教会に帰ってきたが、直後、亡くなってしまった。 "天理教は大きな顔をして歩いているが、とうとう助けることができなかった"と、わざと聞こえるよう な陰口をいたるところで聞いた。 お道はつらい道だと侘びしかったが、その悲哀も朝露を含んだ朝顔のように、また生々としたもの に変わっていった。 BはAよりはいくらかまた取柄があった。神経ハンセン病で、深く今生の通り方をさんげし、つつまし くにおいがけに廻った。 いかに悪業があったとて、さんげの道は尊いものだ。Bのにおいがけした人たちが、現在、私の方 の教会の熱心な信者として、いまだに続いている人が多数いる。そのことを思えば、村人からののし られ、もう布教はやめだ、と投げ出そうという気になったことは度々だったが、泣き泣きでも尽くした理 は消えない。何一つ間違いのない道だということが、後に知らされた。
伊之助氏は昭和28年、長崎方面へ巡教講演に行き、
病を得て三ヶ月ほど病床にあった後その生涯を閉じられました。(享年55才) | ||||||||